【絵本紹介】「おおきな木」を村上春樹訳と本田錦一郎訳を読み比べてみた
シェル・シルヴァスタイン作「大きな木」という絵本はご存じでしょうか?
1964年にアメリカで出版されてから世界で三十以上の言語に翻訳されているベストセラーの絵本です。
こちら、日本では1976年に株式会社篠崎書林より本田錦一郎さんの翻訳で出版され、その後2010年にあすなろ書房より村上春樹さんの翻訳で再出版された絵本になります。
「おおきな木」のあらすじ
原題は「The Giving Tree」(与える木)
あるところに1本の木がありました。その木に毎日遊びにくる少年のことが、木は大好きでした。葉っぱを集めたり、木登りをしたり、木はとっても幸せでした。
時間が流れ、少年が大人になるにつれ、少年は木のところに中々遊びに来なくなりました。たまに来る少年は、「お金」や「家」「家族」「遠くに行くための船」などが欲しいと木に伝えます。その度に木は自分ができることで少年の希望に答えます。
木にとってそれが幸せだったのです。
とうとう切り株になってしまった木。何ももうあげるものがないと嘆く木に対して、老人になった少年は、「僕はもう特に何も必要としない」「腰を下ろして座れる場所があれば。。。。」と言います。
それならと、自分に腰掛けてゆっくり休みなさいと木は優しく語りかけます。
少年はそこに腰を下ろしました。木はとても幸せでした。というお話です。
シェル・シルヴァスタインとは
1930年〜1999年
米国の作家でありイラストレーター、グラミー賞を受賞するシンガーソングライターでもある。絵本では「ぼくを探しに」なども日本では有名です。
ブルージーンズにカーボーイハット姿で、自由を愛した人だったようです。
本田錦一郎(ほんだきいちろう)とは
1927年〜2007年 東京生まれの英文学者。
村上春樹(むらかみはるき)とは
1949年〜 京都生まれ
小説家であり文学翻訳家でもある。
1979年に「風の歌を聴け」で作家デビュー。
代表作に「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」「1Q84」などがある。
村上春樹訳と本田錦一郎の訳の違いについて
女性的な口調に変更
村上春樹の訳の方が、木がより女性的に表現されています。これは、原文では木は「she 彼女」と書かれている、木は女性なので言葉使いを女性的にしたと訳者あとがきで村上自身が語っています。
村上訳の方が少年と木の関係が母親と子供の関係により近く感じるのは、そのせいなのかもしれません。
呼び名の違い・happyの訳し方の違い
本田錦一郎の場合
主人公:ちびっこ ぼうや おとこ
happyの訳:嬉しかった
特徴的なシーン:木はそれで嬉しかった・・・だけどそれは本当かな?
村上春樹の場合
主人公:少年
happyの訳:しあわせでした
特徴的なシーン:それで木は幸せに・・・なんてなれませんよね。
本田の訳す主人公は時間を経過するに従って、呼び名が変わるのに対し、村上の訳す主人公は時間の経過に関係なく「少年」という言葉が使われています。
村上の訳の方が、木の目線から見る少年は、年月がいくら経っても少年以外の何者でもないというのが色濃く表現されているように思えますね。原文では「the boy 」となっているので、忠実に訳した結果なのかもしれませんが・・・。
また、「happy」についても「嬉しい」と「幸せ」という訳の違いがあります。
嬉しいより幸せの方が無償の愛がより鮮明に表現されているように思えませんか?
最後に、この本で最も印象的な一行である”And the tree was happy
... but not really.”をどう訳すかについて。本田は「だけどそれは本当かな?」と問いかけるのに対し、村上は「なんてなれませんよね。」と言い切っている。
この違いも面白いですよね。
いかがだったでしょうか?どちらの訳の方が自分にはしっくりするなど、人によって異なると思うので、機会があれば読み比べてみることをお勧めします。
原文がこちらのサイトで読めるようなので、自分ならこう訳すというのをじっくり考えて見るもの面白いかもしれませんね。